∃ 音樂そしてピアノ
音樂そしてピアノ

ピアノをはじめて今年で9年目になる。
今までの自分を振り返ると
全ての面で最も集中してやって来た物であると言える。
音楽は自分を楽しませてくれるが苦しませてもくれる
そう言ったアンビバランス(両価感情)な要素がある。
また音楽は音楽以外の苦難な局面に置いて
必ずと言って良い程に後押しをしてくれる物であり
自分にとってそれはかけがえの無い存在となる。
音楽は自分の中でオルタナティブではなく自己同一性
つまりアイデンティティーであると考えている。
それは今現在、音楽を集中してやれる環境にはないが
音楽の精神は継続し如何なる時にでも音楽を感じられるからだ。
音楽とはそもそも聴くものではなくコンシャスするものである。

音楽は中世時代に算術、幾何学、天文学と共にいわゆる四学科
を構成していた。音楽を理解するには対位法や和声法
学術的にも難解な作曲技法を学びそれと同時に文学、哲学と
言った精神をも鍛えなければ音楽は生まれてこない。
それは音楽が他の芸術と同様、自立的なものではなく時代的にも地域的にも
文化全体の一部であるからである。
また音楽には古代、中世、ルネサンス、バロック、古典派、ロマン派、
そして現代の音楽とスコアからみた体系化はあるが音楽その物に像と言う物はない。
そう言った普遍的な背景の中で作曲は続けられているのである。
そして自分の音楽は感動や何かにインスパイヤーされて生まれて来るものではなく
曲を作ると言う苦しみの中にある。
苦しみが鬱積したその状況から抜け出す瞬間にこそ音楽が生まれてくる。
それはまさにカタルシス
なぜここまで自身を追い詰めてまで音楽なのか?
はっきりとした事は言えないが、
多分恐らくそれは今ここに音樂がありそしてピアノを弾きたいと言う
強い想いがあるからだと思う。


社報のコラム用に書いたテクスト
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